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寺山祐策:
2006年に、荒俣さんが所蔵されていた図書を図書館に入れることができるという話があった、との背景から話がスタート。荒俣先生が博物図譜の研究をされると決めた40年前は、日本ではこの領域の研究者は少なかった。30年位前に荒俣先生が書物にし始めた頃と自分自身がデザインの領域に携わり始めた頃とが重なっていたということもあり、強い影響を受けたという寺山氏。まさか30年後にこれが自分の大学にくるとは思ってなかった、とも。その図書はあまりに大きく重くて、その姿に圧倒されるばかりで、じっくりと楽しむ余裕もなかった。どのように見せるのがいいか難題だった。
「どのように見せ、それを『学び』や『楽しみ』にできるかがテーマだった。図書館の方が二人、デザイナー、プログラマーほか手伝ってくれた方は、皆本校卒業生で、10名以下のメンバーで制作。荒俣先生がエンドユーザと想定した。現物の書物がなくても荒俣先生が手に取って調べるには、どのくらいのクオリティが必要か。それを基準にした。そして2012年夏に、アプリとして無料でダウンロード展開した」
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荒俣 宏:
30代のころから博物学を学ぶようになって、日本にはこの類の資料はほとんどなかった、と語る荒俣氏。日本でもこういう資料が必要だと言う一心で、自分で買い始めた。たくさん集めたがそのあとに次々と難題が。博物学は精密の科学というのをベースにおいてるので、昔の本では等身大に描かれる。つまり、本自体があまりに大きいので置く場所が必要。出版社や本屋など、転々と預かってもらっていた。引き取り先を探していたところ、高松の玉藻城の一角に江戸時代の博物図譜が所蔵されていることを知った。当時の殿様が家臣にいた平賀源内にディレクションを頼んでできたものだが、これを見に行ったときに、とても重要なものであるということに気が付いた。19世紀の図譜は東大の周辺や神田の古本屋にもあり、大抵平積みに積まれていたが、玉藻城では違っていた。それが感動だった。そんなとき武蔵野美大から話が。デジタル化され完成した博物図譜の実物を投影し、その面白さ、楽しさを一つ一つ解説していく。
「博物図譜は専門家しか必要ではなかったが、その専門家もいらなくなった。写真や標本の充実、文化的な価値が省みられるまもなくなった。色というのはもともとマテリアルで、実は薄い彫刻でもあり、薄い装飾品ともいえるわけで大切にしなきゃいけない。そんなことを考えていたときに武蔵野美大から話があった。大学で所蔵することで学生が使えて、そして私自身も使えるということを条件にした。ビジュアル要素も大事だが、ディスクリプションの部分も大事なので文字の部分もスキャンしてほしいと依頼。加えて細部まで見えるように拡大できるようにもしてほしい。大雑把な絵柄ではなく、資料として役にたてるようにしなければいけない。そんな要求に充分に応えてくれた」
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現在、経年的メンテナンスを踏まえた大修理が実施されている平等院鳳凰堂。修理が終了する平成26年には、創建当時の色彩がよみがえることになるという神居氏の講演では、長年実施されてきたさまざまな調査と背景から、透過X線や三次元計測など、高度なデジタル復元CGや科学的な解析を通じて、デジタルを活用しての文化財修復の意味と出来ることを語っていただいた。冒頭、文化財とデジタルの関係には「デジタルコンテンツの文化財化」と「文化財のデジタル応用」の2つの方向性があると語る神居氏。文化財には正確性が必要で、アミューズコンテンツとは違う側面があるということ。文化は残す意志がないと残らない、と神居氏は強調する。
「『守』と『護』の2つの『まもる』がある。『守』は、モノを収集し保管し変わらないということを大切にする。『護』は、調査を行い状況を見定めるということが音義にある。1000年続くものに、どうデジタルを関わらせるか。今回は今できるデジタルの技術を使いその範囲でわかることを復元したが、70年後の次の修理につなげていきたいと思ってやってきた。失われるものもあるかもしれないが、それを残していくことが自分自身の存在意義でもある」
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続いて、九州彩色装飾古墳のデジタル化及び研究と公開に携わった3人から事例報告。九州国立博物館の河野氏の紹介から、池内氏、朽津氏と続けてその取り組み内容が報告された。
河野一隆:
2005年に太宰府市にオープンした九州国立博物館。他の国立博物館と異なり、開館当初はコレクションがない状態でのスタートだったと回想する河野氏。それならば文化財の情報そのものにチカラをいれていこうということで、デジタルアーカイブを視野に活動を進めてきた。3次元の非接触のデジタイザーやX線CTなどの最新機材も導入。それらでデジタルデータ化し、3Dプリンターで出力して展示に活用しているとのこと。
「映像展示では九州装飾古墳をテーマに、実物展示をよりよく理解してもらうためのデジタル技術を活用したワークショップなどを開催している。教科書より面白く、学校より楽しく、進化する博物館を日々目指して展示および博物館活動に取り組んでいる」
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池内克史:
我々の研究室がやっていることは文化財の「サイバー文化財化」と語る池内氏。サイバー化するには形と色の情報が必要。「形」のサイバー化としてカンボジアのバイヨン寺院遺跡の事例を紹介。計測技術は年々発達してきてはいるが、バイヨン寺院のように広大な対象物はなかなか難しい。そのために新しいセンサーを開発したり、大量のデータを扱えるソフトウェアを開発する必要がでてくる。ハイテクとローテクを組み合わせながら進めることも重要。もう一つの情報が「色」。これが本題の九州彩色古墳の話。たいていの古墳は、人間が呼吸する息で劣化してしまうので公開されてない。そのためデジタル化していくのがいいということで毎年やって今年10作目を作っている。彩色古墳は、どのような条件化でペインティングされたか二つの説がある。一つは、松明の下でやった。もう一つは太陽光の下でやったかだと池内氏は語る。
「色のスペクトルを計測し、松明の下と太陽光の下でどのようにみえるかをシミュレーションした。すると、太陽光の下でしか判別できないような線がでてきたので、太陽光の下でやってできたのではないか、ということがわかった。文化財のサイバー化は、単にみせるためのものではなく、解析することによってさまざまなことがわかる。それらデータを使って展示に活用することで、サイバーミュージアムのようなものも考えられるのではないかと思う」
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朽津信明:
九州装飾古墳は5世紀頃から7世紀の初頭くらいまでの間のもので、高松塚古墳より古い。古墳の中は真っ暗だと思うが、そんなところでどうやって色の違いをどういうふうに区別しながら絵を描いたのか、ということを質問されたことがある。これまで懸命に顔料の解析研究を行ってきた朽津氏は、その問いへの答えとして、実際にどう描いたのかということに迫ろうと池内氏と相談しながら10年間研究を進めてきたとのこと。その結果、松明の光では区別がつかないということがわかってきた。天井がふさがれる前、太陽の光が入るような状況で描くとか、石室が閉じてしまう前に、光が差し込むような状況で描いたとか、一つの可能性としてわかってきた。またこの古墳は、季節によって見え方が異なるということもわかった。
「レイヤーを解析して見えにくいものを見えやすくするということ。これは科学の話。情報が既に落ちてしまっているものを復元する復元図ではないということだ。当時の人がどういう絵を描きたかったかを解析するには、今、落ちてしまっている情報がどのようなものだったのかという、また別の分野の協力を得ながら復元していく必要がある」
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