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活動報告
シリーズ文化資源の愉しみ方 2014年1月9日
第1弾企画『響夜学(ひびやがく)〜経営と文化のいい関係を考える』(全3回)
第2回「小布施町 30年の軌跡」
講師:市村次夫氏(株式会社小布施堂、株式会社桝一市村酒造場代表取締役)
日時:2014年1月9日(木)
会場:千代田区立日比谷図書文化館4階 スタジオプラス  http://hibiyal.jp/
文化資源活用の意義について理解を広める場づくりの一環として企画した「文化資源の愉しみ方」シリーズ。その第1弾として開催する『響夜学(ひびやがく)~経営と文化のいい関係を考える(全3回)』の第2回講演には、桝一市村酒造場・小布施堂代表取締役社長である市村次夫氏を迎え「小布施町 30年の軌跡」と題した講演会を開催しました。

小布施町と書いて「おぶせちょう」。自治体の名前として「町」は「まち」と呼ぶことが多いが、長野では小布施をはじめ「ちょう」と呼ぶことが多いという話から講演ははじまりました。人口12,000人、面積19平方キロメートル。40年前は観光客ゼロの小さな町が、現在年間120万人の観光客が訪れるほどに発展した小布施町。そこに欠かせない、葛飾北斎、栗、町並み修景、デザイン、イベント交流、といったキーワードの一つ一つを紹介しながら講演は進みます。

葛飾北斎と小布施町。その歴史は、1842年(天保13年)に北斎は83歳のとき小布施に来訪することからはじまります。岩松院天井絵や祭り屋台天井絵等の制作に関与した北斎と小布施町の歴史的な縁もあり、1976年には北斎館が開館。2000年には年間40万人が入館するなど、小布施町への観光客誘致の基盤にもなりました。1998年には「国際北斎会議」を開催するなど、北斎と小布施はきってもきれない関係で発展したことを、北斎にまつわるお話をさまざまに交え丁寧に紹介していきます。

また、小布施町は栗と栗菓子の町としても知られています。山の斜面ではなく平地に作られるのが小布施の栗の特徴。江戸時代末期、当時は薬として扱われ貴重な資源だった砂糖を、お菓子につかったということの先見性は自慢の一つと市村さんは語ります。大正時代以降、商品も多様化していったなか、太平洋戦争の時代では企業整備令、その後の販売価格統制など、国の政策に左右され栗菓子も苦難の時代を迎えます。そんな時代を乗り越え、昭和30年代以降、デザインという要素に着目。ロゴタイプ、パッケージデザインなどにチカラをいれながら小布施の栗菓子は発展を続けます。昭和50年代以降、モータリゼーションの時代となり車が一家に2台の時代になったこと、所得が増えたが物価はそこまで増えなかったこと、マスメディアの広告露出増大なども、小布施の栗菓子にもおおきな飛躍をもたらしました。
開場写真1
開場写真2
開場写真3

小布施町のもう一つの特徴は、町全体を「気持ちのいい空間づくり」として追求してきたことです。建物をつくるときに、模型によるシミュレーションを活用したり、観光客にも気持ちのいい空間づくりを「町並み修景」というキーワードで景観事業を町全体として推進。それが一つのモデルケースとなって全国にも発信できたことは大きな財産となったと市村さんは語ります。そのことは、小布施町以外の方々との人的交流やさまざまなイベント開催につながり、「イベント好きの町」として小布施町はその名前を全国にしらしめることができたのです。

「観光」は先進国にこそ適した総合産業であり、それによる人的交流からあらたなビジネスがうまれる可能性があると語る市村さん。そして観光こそ、テクノロジーと自然を素材として、そこに住む人々の「編集力」が問われるとも。「人を元気にすること」ということを町並みづくりの根幹に据え、その試みを自ら実践し、文化資源や歴史を活用しながら、魅力的な地域づくりで発展してきた小布施町。その後の懇親会でも、本編では時間の関係で触れられなかった具体的な町並みづくりの取り組みについて、来場者と尽きることない交流の時間がつづきました。
他の講演
第1回:2013年12月4日(水) 講師:徳川義崇氏(公益財団法人徳川黎明会会長、徳川美術館館長)
第3回:2014年2月12日(水) 講師:久保孝満氏 (阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部 東京宝塚劇場総支配人)

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